眞下 清
(元島民)

国後島 留夜別村くなしりとう るやべつむら
礼文磯れぶんいそ
昭和10年生まれ
 私は、平成15年8月に国後島を訪問いたしました。故郷国後島礼文磯は朝日の輝きを正面から受け雄美な爺々岳は雲に隠れているものの、島の美しさは55年前と何ら変わることなく輝きを見せていました。あの悲しい敗戦から苦しい不安な生活体験を、この地で過ごした少年時代でありましたが、今は全てを忘れて、ただ「来て良かった」と故郷の大地に立つことの出来る喜びで胸が一杯でした。母船から伝馬船に移乗し陸に向かう途中、穏やかな海面に昆布の舞いが波間から見ることができました。やはり故郷の海だと再認識しながら、豊かな海、海産資源の宝庫を感じさせるには十分な光景でした。伝馬船は小学校の近くの砂浜に着き、一歩足を踏みしめた感じは意外と無感動でしたが、2歩、3歩と踏みしめると砂浜の感触と磯の香りが全身に伝わり、55年前の記憶を呼び起こしてくれました。
 今まで何度も夢に見た故郷の大地に立った、この感動は終生忘れることはありません。
 しかし島は55年前の面影はなく、自然保護区に指定された今日無人地域となり未開の地に変わり果てていました。我が生家跡も確認できず残念でした。ただ家の裏に建立されていた電柱が倒れずに淋しく立っており、早く主の帰るのを待っているようでもありました。
 3回目の訪問で、ようやく生家跡の確認ができました。また、母校の礼文磯小学校の校庭を訪ね、奉安殿の基礎石も発見しました。奉安殿の周囲に植えてあった水仙が満開の状態で咲き乱れているのを発見し、嬉しかったです。
 昭和20年8月15日は学校前で敗戦の報があり、翌月の北方四島はソ連領となり学校は今日から閉鎖すると校長先生から説明がありました。そして「君たちは、どんな事があっても死ぬな、絶対に生きよ、そして学校が無くても学ぶことを忘れるな、生きることは学ぶこと」と何回も教えてくれた事を思い出して自然に頭が下がりました。この校長先生の訓示は「私の人生訓」として今日まで生きている事が出来幸せでした。
 故郷の学校前で感謝の礼をしながら、これからの人生は北方四島返還要求実現まで生きていこうと決意を新たにしてきました。そして未開の地と荒れ果てて泣いている国後島がもう一度、笑って多くの人々が帰って来れるような故郷に再建したいと思っています。それが元島民の夢でもあります。