三船 志代子
(元島民)

択捉島 蘂取村えとろふとう しべとろむら
蘂取しべとろ
昭和13年生まれ
 私は、択捉島の蘂取村で生まれました。村は魚が沢山獲れ、四季折々の花が咲き、鳥も鳴いて、自然豊な島でした。
 ところが戦後、昭和22年に強制送還と言いまして、北方四島から引き揚げることになりました。その時私は、小学3年生で8歳でした。当時のソ連の貨物船に乗せられ、何日も何日もかかって樺太に連れて行かれました。
 その後、日本の船で函館に帰ってきましたが、みんな栄養失調のような状態で多くの人々が亡くなりました。
 折角病院に入院できても、食べ物や良い薬も無く、亡くなる人が多くいました。一緒に引き揚げた人々はここで、それぞれの親戚縁者を頼って全国に旅立って行きました。また、無縁故の人々は、お役所が決めてくれた場所に旅立って行きました。
 戦後の食糧事情は、私達引揚者ばかりでなく、みんなが貧しく、品不足でもあり、手に入らない、そんな時代でした。
 北方四島は、私達の「ふるさと」です。でも、いつでも行きたい時に行けるところではないのです。戦後、四島返還運動を長年に亘り行ってきた父も母も帰らぬ人となりました。残る私達元島民の平均年齢も78歳を超えました。
 ふるさとを思う気持ちは、人それぞれです。病気で寝たきりになっても「もう一度、島に行きたい」と言った90歳の父。やはり病気で身体が不自由になった母が「島の家に帰りたい」と言って、看護師や介護士を困らせていた姿を思うにつけ、残された私達元島民は、この真実を後世に語り継いで行く義務を強く感じております。
 私が作成した「ばあちゃんのしべとろ」という絵本がございます。
 この絵本は、平成13年度、根室支庁が主催した「四島(しま)とわたし」絵本コンクールで最優秀作品として選ばれたもので、私の幼かった頃の記憶を綴ったものです。
 今は、各地の小中学校等で、この絵本の読み聞かせに加え、蘂取村の人々の暮らし、戦後村にロシア人がやって来たときの様子、又島から引き揚げるときの様子などを、お話ししております。
 子ども達は、みんな目をキラキラ輝かせて聞いてくれます。熱心に聞いてくれる子どもさん達の姿に元気を貰いながら、これからも体力が続くかぎり、語り部として活動してまいります。