安田 愛子
(元島民)

択捉島 蘂取村えとろふとう しべとろむら
シルクルスしるくるす
昭和14年生まれ
 択捉島の面積は、3,184 ㎢、全長203㎞で四島では一番大きい島です。村は北東に位置しています。秋になり鮭が遡上してくる頃になると、本州や北海道から出稼ぎの人達が大勢入って来ます。普段は五百人足らずの人口が倍以上にも膨れ上がり、村は一気に活気づきます。
 鮭は棒を立てても倒れないくらい遡上してきます。その鮭の背の上を鼠が走って渡っているのを見たと言う人もいるくらいです。村は自然が豊かで平和な村でした。

 ところが、昭和20年8月の末いきなりソ連軍が村に入って来ました。学校は体育館がソ連の学校となりました。校長先生が、「自分達は後から来た者だから体育館でいい」と言ったそうです。ソ連人とは、余りトラブルもなく二年間過ごしました。

 昭和22年、強制的に島を追われ、サハリン経由で送還されることなりました。皆は着のみ着のまま少しの荷物を持って村を出ました。船に乗る時、父が村に残るよう命令されましたが、一緒に住んでいた将校の計らいで帰ることが出来ました。ソキアから貨物船に乗り別飛(べっとぶ)紗那(しゃな)留別(るべつ)内保(ないぼ)と村人を乗せサハリンの真岡(まおか)に着きました。貨物船の中や真岡では、食事、トイレ共大変な思いをしましたが、無事函館港に着くことが出来ました。

 平成13年(しべ)(とろ)村を訪問しました。いつも思い出していた山、川は昔のままの姿で私達を迎えてくれました。上陸した時は、何故か涙が止まりませんでした。初めて訪問した人は、感激で言葉もなくどこかで「ただいま」と言う声が聞こえました。

 村は砂浜と草藁になっていて昔の面影は何もありません。墓地は草の中に埋もれていました。皆で草刈りをして近くに咲いていた花をたくさん手向けました。読経の中、一人ひとり手をあわせ永い間のご無沙汰をお詫びしました。本当に数十年間島を守っているご先祖様、どんなにか私達が来るのを待ちわびていたことでしょう。

 帰り、倒れそうな小学校の門が見えました。また、数本の松の木が風雪に耐え残っていました。そこはお寺があった所です。今は、人は居なく、開発されていないのになぜかホットしました。でも、4人のロシア人がいて「花咲かに」をご馳走してくれました。とっても美味しかったです。蘂取の味でした。

 戦後、ソ連が北方領土を不法占拠してから70年以上がたちました。今では多くの元島民の方々がお亡くなりになりました。返還を夢見ていた人達です。どんなにか無念だったことかと思います。平均年齢が81歳になった現在、島民には後がありません。日本固有の領土である北方領土!資源ある宝の島北方領土!一日も早く、安定した友好関係が持てるよう願うばかりです。これからも、皆さんと共に返還要求運動を続けます。

 北方領土が日本に帰るまで・・・