清田 進
(元島民)

歯舞群島 志発島はぼまいぐんとう しぼつとう
相泊あいどまり
昭和14年生まれ
 私が1939年に生まれた歯舞群島の志発島は、面積が40㎢の小さな島ですが、2、249名が生活していました。島全体が平らで、島民の多数は昆布漁で生活をしていました。島には小学校が2校、役所の出張所や派出所があり、無医村でランプ生活でしたが、多くの人が住んでいたのは生活が楽であったからです。
 昆布漁は、毎日小舟で採集し、浜で乾燥させ、指定された等級別に切断して本土へ出荷する作業で、家族みんなで忙しく行っていました。
 島の海では昆布以外に、鮭鱒、ホタテ、ウニ、エビ、カニ、コマイ等の魚貝類が生息していました。今でも記憶にあるのは、25㎝位のホタテ貝を炉で焼き食べたことです。また野原には、フリップ(野イチゴ)が実り、友達と食べたことです。
 豊かな生活が続いていましたが、終戦直後ソビエト軍が不法占領することを知り、残留するか、脱出するかを判断しなければならなくなりました。父親は自力脱出を決断し、8月末に親子6人で、25㎞先の根室に向け夜中出航しました。母親は、無事に到着するように念仏を唱え、安全を祈っていたことを覚えています。島と島との間の水道は潮が速く、命を亡くした人もいたようです。
 根室に到着後、出身地の富山に帰り、漁業で生活をしました。北海道のニシン漁や北洋の鮭鱒漁への出稼ぎをして生活をしました。
 私自身、北方領土に関心を持つようになったのは、大学に就職して北方領土の元島民として話をする必要性がでてきました。しかし、北方領土の知識は書物から得るだけで、現実を知るために、2000年から北方領土への訪問を積極的に行い、インフラの実体や住民の生活を知るようにしました。知り得た内容について、大学生、民間企業、自治体の人々に伝えることで、多くの国民に知らせるようにしてきました。
 最近では、ロシアの対日強硬等が表面化しており、2016年の日露首脳会談では、共同経済活動に重点がおかれ、北方領土の主権についての話題がなかったことは残念です。共同経済活動の促進は、日本と現島民の両方にメリットが期待されるが、結果として返還が促進されることを期待しています。
 現在は語り部として活動していますが、北方領土問題の現状について、一人でも多くの国民に伝え、元島民と現島民にとっての受け入れられる最善策を考え、今後も領土返還運動に貢献できるような活動を行っていきたいと考えています。