吉田 義久
(元島民)

水晶島すいしょうとう
(モシリケシ)
昭和12年生まれ
 私たち北方領土元島民は、昭和20年8月15
日の終戦間もなく、日ソ不可侵条約を一方的
に破棄した不法なソ連軍の侵略で島を占拠さ
れ、強制的に、また、夜陰に乗じ、引き揚げ
てまいりました。
 私の故郷は、根室半島のノサップ岬からわ
ずか7㎞と、すぐ目の前に浮かぶ水晶島です。
私はその島で、昭和12年から昭和20年9月、
ソ連軍が上陸して来るまで住んでいました。
私たちの祖父母や父母が、明治初期より、根
室地方に出稼ぎに行き、それを基盤に北方の
島々に渡りました。苦労に苦労を重ね開拓し、
タラ、カニ、コンブなど豊富な漁業資源に恵
まれた、この北の島々に定住し、長年にわた
り汗と血の結晶によって築きました。
 私の住んでいた水晶島は、冬になれば一面
雪と氷に覆われ、大変厳しい時期もあります
が、四季を通じて美しい自然と豊富な水産資
源、部落住民の温かい心情に支えられ平和な
生活でありました。私の家族は、毎年この島
でコンブ漁と沿岸漁業を営み、生活の基盤を
築いてきたのであります。
 開拓当時の家は、大変粗末で雨、露、雪が
丸太小屋へ吹き込み、ムシロを吊って雨風を
しのぎました。大正、昭和へと進み、島の生
活も次第に安定し、住宅や作業所も建て替え
られ、漁船も新しく作り替えて、さてこれか
ら事業が軌道に乗ろうとした矢先の終戦、予
想もしなかったソ連軍の参戦により、日本固
有のこの北方の島々が突然占領され、長年私
たちの祖先が血と汗で築いた全財産や漁業権、
私にとっては故郷が、一夜にして奪われまし
た。
 全財産を失い、島を追われた元島民は戦後
の住宅難、食糧難、就職難の三重苦に悩まさ
れ、筆舌につくせぬ苦労がありました。
 今年で戦後64年も経過しましたが、依然と
して島々は占領されて自由に住来できない厳
しい状況下にあります。私たち元島民の悲願
である北方領土返還が、一日も早く実現しま
すよう願うものであります。